オーラソーマ/自分探しの旅⑦
過去生と現世の繋がりを見る事で
今の自分が持ってきた
負の部分
と思っていたものが実は
とても重要な鍵が隠されている
宝に繋がって行くものなのだとわかるようになると
今まで忌み嫌っていた自分の嫌な個性がとても愛しく大切な自分の一部である
むしろそこがあるからこその私
と言うことが徐々にわかるようになっていきます
オーラソーマの2本目に選ばれるボトルの解釈はその人の魂を輝かせる為に持ってきた自分のギフトを表します
往々にしてポジティブな解釈よりネガティブな解釈がしっくりくる場所
それはまだ自分のギフトに気がついていない時だったりもするのです
そして
そこへの理解が腑に落ちるように導いてくれるのがオーラソーマ商品を使う事だったりするのですね
オイルと水の二層のボトルを自分でシェイクする事でその人の波動に調整されてそれを身体に塗る事でその人本来の自分になれるように自然と様々な事が起きてくるようになります
なのでこれを使うとこうなります
と言う事を断定することが難しく
必ず良い方向には向かっているのですが目に見えてくる現実を通して感じる感情や今まで封印していたことが開かれていく感覚に恐怖や混乱が訪れる場合もあります
その人に合わせたその人に必要なプロセスがボトルを使う事で起きて来るツールなのです
さて
その後レベル3を順調に受講して行くのですが受講日の前日
息子が部屋の中であり得ない転び方をして眉間のあたりに大きなたんこぶを作ってしまいます
子供には良くあるやらかしごと
オレンジやゴールド辺りのエネルギーを解放していたレベル3
オレンジはショックやトラウマを表し
実際に衝突した時などにオレンジのボトルを身体に塗ると衝撃でズレてしまったオーラを戻してくれたりします
そのショックボトルを息子に塗りながら病院に駆け込みます
この出来事も意味がありそう
私のトラウマを解消していた最中に起きたオレンジを彷彿とさせる出来事
過去生を探ろうとすると寝てても泣き出していた息子の状況を思い出しながら病院の待合室で息子の額に氷を充てていると息子はスヤスヤ眠りだしました
その時この感じどこかで見た
と思い出したのです
息子が脳炎で入院した時に夢に見た光景
私は戦争中のような時代に看護婦のような格好をして電車の中にいます
私の膝の上には頭を負傷した若い兵隊さんが居て私はその傷をオロオロしながら抑えるだけで何もしてあげることが出来ません
ですがその兵隊さんは至福の笑みを浮かべて眠るように亡くなるのです
その姿と息子がスヤスヤ寝ている姿が被ります
ああ
息子とは前世の何処かで出会っていたんだろうな
と言う思いがよぎります
息子の幼少期は私とは正反対の子で
まぁよく喋る
我慢なんてしない
思っていることは誰彼構わず全部そのまま吐き出す
とにかく私への執着がものすっご〜い
怖いくらいに執着がものすっご〜い
普通の子供と言えばそうですが
私から見たらあり得ない感覚のオンパレードの子供でした
私は親にも自分の感情を言わない
我慢しかしてない
全く喋らない
母はいつも居ないので執着どころでは無い
これが異常と言うのを
息子を通して知り、ああこんなんでいいんだ!私もこうすれば良かったんだ!という事を息子を通して学んでいったような育児だったのです
息子の事もよく話していたので退行催
眠をした後ティーチャーから言われたのはあの前世の時息子も一緒に生きていたのではないか?
私は話しをする事で死ぬ事になったが息子は話しをしなかった事で私を失う事になった
なのでよく喋り執着するのでは?
この解釈は非常に腑に落ちる内容でした
とにかく息子は私の人生の節目節目に
無意識で色々な問題定義を投げかけて私を本来進む道へ導いてくれる存在だとこの頃から徐々に感じるようになるのです
さて
私の大きな大きなトラウマが引き出され明るみになっていく事で
私は更に絵を通して自己表現をして行きたいと思うようになるのですが
私の予想以上にどんどんオーダーが入ります
私のための時間が無くなり
常に誰かの魂にアクセスしている状態
一人終わると次の人
と
どんどんやっていくと
一つの作品を仕上げる時間がどんどん長くなっていきます
そして全然絵が描けなくなって来てしまいました
それがどうしてなのか?
色々探ってもわからない
そこをレスキュー出来そうなボトルが誕生しそれを使っていけば行くほど
更にできなくなる状態が続き
それと同時にスピリチュアルな世界で生きているのがとても嫌になります
そんなこんなで絵からもスピリチュアルな事からも距離を置き始めます
生活は旦那がやっと働くようになったものの色々な事があってお金の面での苦労は有りましたが必要なお金は必ずやってくると言う事が分かって行くようになります
息子は小学生になり
特に問題も無い平穏無事な生活が淡々と流れていきました
何でもない日常がどれだけ素晴らしい事なのか?
そこを日々味わえる毎日が本当に幸せで平凡が一番だと思える毎日でした
その頃
オーラソーマだけは私の中に常にあるもので仕事としての窓口は閉じましたが日常の中で使う事は続けておりました
日々の現実をしっかり生きる
ここをやっていたような数年でした
つづく....。
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